久しぶりなので長文になります(あしからず)
実はここ最近いろいろな雑誌に記事として取り上げてもらったり、執筆依頼を受けたりが重なりました。
まずは有料誌「月刊アンカー」平成30年6月号! 通巻351号
えっ!?ご存じない(◎o◎)/
私も全く知りませんでした(笑)
何でも企業経営者・事業主を対象とした雑誌(1500円+税)で、書店や病院、ホテルに常設されている媒体との事。
テーマが「地域再生~企業は人なり~」という事に加えて地域情報誌「ペコロス」を永年にわたり発行している事が素晴らしい!と褒められ→お話しをされ→0.2秒ですぐに依頼を受けてしまいました。
※私のウィークポイントを知っている(>_<)
取材当日、私をものの見事に落とした記者の他にゲストとして同行していたのが坂東英二氏。
ちょうど、私が大学時代に同じキャンパスに坂東氏の娘さんも通われていた!という、テーマとは全く関係ない話で盛り上がったりと、大変有意義なひと時となりました。
※しかし、掲載費用としまして、5万円+税がかかりましたことを追記しておきます。
↓こちらがその記事です(右上)
次に記事を取り上げていただきましたのが
帝国データバンクが発行しております帝国ニュース中部版 2018.6/4発行 No.8144号
こちらは、掲載費は要りませんのでご安心を(笑)←自分に言い聞かせています。
普段、私自身がお客様に取材するケースが多いので、逆に記者の方に質問攻めをされると
慣れていない為もあってなかなか上手に答える事が出来ませんでした。今後取材する時には
私もあー聞こう!こー聞こう!と新発見の連続でした!!
それにしても、私達のような会社でも伝統ある雑誌のコーナー「クローズアップ」に取り挙げていただき本当に感謝しました反面、なお一層業績をアップさせないといけない!とプレッシャーを感じた瞬間でもありました。
↓こちらがその記事です(右上)
またまた登場しますのは我々の印刷業界の機関紙
「あいちの印刷」7月号 No.560
こちらの巻頭言を執筆させていただきました。
今回が2回目となりますが、実は愛知県印刷工業組合で現在マーケティング・人材育成委員会の委員長を拝命しておりまして、愛知県の理事長→副理事長→委員長という順番で回ってきます。
で、私の番が来てしまった訳です。毎回テーマは決められておらず(これが案外曲者!)、今回は悩みに悩んだ挙句「慰安旅行」
↓こちらがその記事です(右上)
字が小さくてボケてて読めないかも知れませんが、私の素直な考え方で書かせていただきました。
※もし、読みたい!という変わった方がみえましたら機関紙が残り5冊手元にありますので私までご連絡ください(笑)
最後に取り上げますのが一般社団法人 半田法人会発行の
「歩一歩(ぽいっぽ)通巻276号 9月号」です。
こちらの定例連載ページ「私の好物」という事で
今回はペコロスでもお世話になっております東海市の加木屋町にある
天麩羅・日本料理のお店「竹家」の赤社エビ天丼を記事に書きました。
こちらもこの媒体が私の手元に届く前からお店の女将から連絡があり
「久野社長のおかげで毎日赤社エビ天丼が売切れ!新規のお客さんが媒体を片手に来てくれているおかげ!ありがとう(^O^)/」って。
もう、こういう連絡ってホント嬉しいです。
しかし・・・
情報誌「ペコロス」より効果があってはこりゃあまずい!・・・冗談です(笑)
そして・・・番外編というかメインというか・・・
弊社ですが先期が55期。今期が56期でありました(厳密にはこの8月末をもちまして)。
この度念願の
「55周年誌」を発行する事が出来ました!※全102頁です!
※関連ブログ→2013年7月10日:ちなみに50周年時は「オリジナルアニバーサリー玄関マット」と「記念樹」
中身は読み易く会話調で!しかも写真を多く使い誰でも見易くしました。
※こちらもまだたくさん100冊程在庫ありますので、ご希望の方お譲りいたします。
↓以下ページの抜粋になります。
創業者(先代である父親)が脱サラをして、この株式会社愛知印刷工業(当時は有限会社愛知印刷社)を立ち上げる経緯から、2代目であります私がバトンを譲り受けてから現在までやって来たこと、そして今後どのように歩んでいくのかをまとめるいい機会になりました。
このような節目に「昔を振り返る」ことによって、これまで弊社が存続して来れたのも偏に社員をはじめ、お客様、また仕入先・協力会社の皆様のおかげがあった為と改めて感謝する事が出来ましたし、これからも一層事業繁栄する為には引き続き周りのご指導、ご鞭撻のお力添えが必要不可欠であることも再確認出来ました。
また、先代(夫)が急逝したにも拘らず心折れる事なく、現在も私を支え続けていただいております代表取締役会長であります母親には、言葉ではいい表せない程の感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の周年誌を作成するにあたって、私も知らない過去の事を思い出してもらった事はもちろん、今日もこうやって無事に過ごしていける事も、会長が未だ現役で且つ元気でいてくれるからです。いつまでも私達の絶対的安心感を与えてくれる存在でいてくださいね。
最後に・・・
55周年では2代目社長としての気持ちを書かせてもらいましたが、今からは久野章の子供として個人的な気持ちを書きたいと思います。
父親は病気一つせず、ずっと仕事一筋で生きてきた昭和6年の頑固おやじでした。
記憶として残っている事と言えば・・・
幼少期は、あまり何処か遊びに連れていってもらえた記憶は殆どないです。
(たまーに名古屋港ドライブや、工場の空き地でのキャッチボールくらい)
普段はめったに私の生活態度について口を出さなかったのですが、叱る時は必ず
自分の前に正座をさせてキチンと話す厳格なところがありました。私がどんなに泣いていてもです。(私も息子に対して同じ躾をしております)
また、その一方でお酒が入ると少しエッチになり女性をからかったり、周りの人を和ませるようなムードメーカーで明るいところもあったように思います(これは自分で言うのも変ですが間違いなく私のDNAに引き継がれております)
また成人してからは、
「会社があって家庭がある!」
「知ったところでお金を使え!」
「騙すより騙された方がいい」
「今がチャンス!」
このような言葉が頭に残っております。
最後に父親と話したのは手術日でした。話したというよりは口論したと言った方が正しいです。私は、当然手術が成功しまた戻ってくるのが当り前と思っていたから・・・術後ほどなくしたら私が社長になってあげると勝手に決めつけていたから・・・父親の最後の最後の願いも聞かず、一方的に自分の意見を通し切ってしまったのです。
今となっては、取り返しようがありませんが、こんな辛い別れをしてしまい本当に申し訳なかったと思います。悔やんでも悔やみきれません。
従って、いつも私が父親を思い出そうとする時、手術室に入る直前の不安そうに手を振る元気のない弱々しい表情をした父親の顔が一番最初に出て来ます。
笑った顔ではなくです。
なので、唯一私が出来る事といえば、父親が作ったこの会社を絶対に!命に代えても成長させ存続させる以外は無しと覚悟を決めてやることだけです。
それが、もしかしたら天国に急に旅立ってしまった父親への供養にもなるし、生前出来なかった親孝行になるのかな!と思います。
その節目として、この度こうやって父親が立ち上げた会社の周年誌を作成し、父親が生きてきた証をカタチに出来たことも、もしかしたら許してもらえる一つに繋がればなと思います。
いつの日か、私が一番に思い出す父親の顔が笑顔に変わる日を目標にこれからも私と一緒に歩んでいく人と協力しあいながら一歩一歩進んでいきたいと思います。
とーさん、見とってよ!
俺、やるから。